たゆまず気づき歩み続けたその足は、心の目を開くヒントを深く広く語りかける◎


こんばんはハダシです。。ハルこえて、、

四月三十日、今月の西国三十三所礼場巡礼の旅は最後の奈良旅(番外でもう一度来るけど)です。

西国第六番 壺阪山 壺阪寺。

 

岩をたて 水をたたえて 壷坂の

庭の砂も 浄土なるらん

 

ここは、奈良飛鳥キトラ古墳の最奧の山の上にある目にまつわるお寺で、浄瑠璃や歌舞伎の演目で「壷坂霊験記」という江戸時代のお話で、盲人の沢市と妻のお里の愛物語の舞台でもあり、本堂横手には二人が身を投げたとされる谷もある。そして観音力の救いがあったところ。

 

ここの住職はそれも縁だと、盲目の老人ホーム等の経営もしており、定期的に耳の聞こえない老人ホームの職員の方々とも知識を深めておられるそうだ。そんな、住職がおっしゃった「お互いが気づく力を持ち合わせたならば言葉も聞こえなくても、顔の表情がわからなくても、人の心は通じ合うことが出来るのです」と自信を持って語られている。

 

目や耳や口、五体、音、言葉、文字、有るが故の喜び、痛み、悲しみ、楽しみ、すれ違い、愛し合い。

たとえ、どこか何かが壊れていても、お互いに「気づく力」があれば心は通じ愛し合える。

 

気づく力は全ての人に等しく備わる力であり、それには気づきの努力と歩み寄りが必要だ。

目や耳や口に惑わされることなく気づく力、心を等しく見る目こそ盲目であってはならない。

 

仏足石は、気づきの実践者ゴータマ釈迦ブッダの存在をプリミティブに記号化した紀元前からの足跡であり、たゆまず気づき歩み続けたその足は、心の目を開くヒントを深く広く語りかける◎